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文学概論李文玉2010010397『セメント樽の中の手紙』について20世紀20年代末から30年代初期、日本のプロレタリア文学は盛んになって、プロレタリア作家も頭角を現し始めた。その中で、葉山嘉樹(1894~1945)は日本のプロレタリア文学の作家である。士族の家庭に生まれた葉山は旧制豊津中学から1913年に早稲田大学高等予科に進学するも、学費未納により除籍した。その後、船員として貨物船で働いた。このときの経験が後年の作品の素材となっている。1920年、名古屋のセメント工場に勤務、そこでの労働事故をきっかけに労働組合を作ろうとするが失敗し、解雇された。その後、名古屋労働者協会に加入、各種労働争議を指導した。1923年、「名古屋共産党事件」で検挙、投獄された。獄中で「海に生くる人々」「淫売婦」を執筆した。出獄後、1925年に「淫売婦」を雑誌『文芸戦線』に、翌年「海に生くる人々」を書き下ろしで発表し、これにより葉山は一躍文壇の新進作家となった。既存のプロレタリア文学が観念的、図式的であったのに対し、葉山の作品は、人間の自然な感情をのびのびと描き、芸術的完成度も高かった。特に「海に生くる人々」は、日本プロレタリア文学の傑作といわれる。プロレタリア文学運動が、『戦旗』派と『文芸戦線』に分かれたとき、『文芸戦線』派に属し、その代表的な作家として活躍した。葉山は一生約百編以上の小説、随筆と評論などを書いた。彼の作品は1934年東京を離れるのを境に、前後二つの時期に分けられることができる。前期作品は数も多いし、思想性、戦闘性も強いし、階級意識も鮮明である。後期作品数も減るし、思想性も前より落ち込む。葉山の前期作品は主に下層階級の労働者を主体に、資本主義の搾取を暴き出し、多くの労働者に対する同情を表し、鮮明な階級意識を持っているのである。ここで葉山嘉樹の前期作品――1926年に『文芸戦線』で発表した「セメント樽の中の手紙」について関心を持って紹介したい。この作品は1921(大正10年)、名古屋セメント工場の従業員の村井庄吉が不注意で破砕機に嵌って死んだ事件によって創作される作品である。主人公の松戸与三は社会下層の労働者であり、セメント樽の中でセメント袋を縫う女工の書いた手紙を偶然みつけて、女工の恋人が仕事中に不注意で破砕機に嵌って死んだという悲惨なことを通して、そのことが松戸与三にどんな影響を与えるかについて詳しく描写した。主な登場人物は松戸与三と女工である。自分の目で恋人の死を見た女工の手紙を読んで、特に「石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕等へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細く細く、はげしい音に呪いの声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。」読んだあと、最初は本当に感動された。何といってもそんな悲劇は人々に望まれないことである。女工は人々の同情だけを求めるのではない。小説の中で、女工の気持ちが途中から変化した。最初は、「私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀になったりするのに忍びません。あなたが、もし労働者だったら、このセメントをそんなところに使わないでください。」と言っていたのに、「いいえ、ようございます。どんなところにでも使ってください。」と変化している。「劇場の廊下」、「大きな邸宅の塀」は、金持ちの象徴である。金持ち・資本家への違和感から拒否したのだろう。それが、「いいえ、ようございます。」と変わったのは、自分の恋人を再認識したからである。たとえ、金持ち・資本家に踏みつけられても、決して負けることのない逞しい人間だったと確信したのである。それは恋人を媒介として、自分自身がこの世界に強く、しっかり立ち向かおうとするようになったことを意味している。女工は変わった。単純に同情を求めることから、一人の人間として強く労働者の連帯を求めるようになったのである。松戸与三はは我を忘れて手紙を読んだ。「湧きかえるような子供たちの騒ぎを身の回りに覚えた。」という表現で忘我の状況から現実に立ち戻ったことが分かる。また、「酒をぐっと一息にあおり」、「へべれけ酔っ払いてえなあ。そうして何もかもぶち壊してみてえなあ。」と怒鳴る。これは逃避的・自棄的心情の表れである。自分のおかれた状況を様々と知り、無力な自分がいたたまれなっかただろう。でも、そういう甘えを彼の妻は許さない。妻に窘められた与三は、この貧しく辛い現実の中で七転八倒しながら生きていかなければならないことを思い知らされるのだ。「木曽川の水が白くあわを噛んで、吠える」厳しい冬を迎えながら、与三は現実の袋小路の中で活路を見出さない。それは、女工が現実の袋小路から脱する目を得て世界に立ち向かおうとしているのと、ちょうど逆である。本文のクライマックスは松戸与三が女工の手紙を読んだあとで「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかもぶち壊して見てえなあ」という場面である。これは同じ運命を持っている労働者が仲間の不幸な境遇を知ったあと、社会環境に処する自分が社会に対する反省と反抗である。しかし、対抗はただ思想領域に限られ、まだ実行に移しなかった。知っているとおり、恋人の残骸を探すことができない女工は、同じ運命を持っている工人労働者に助けを求め、彼らの助けを借りて、恋人の「血と肉」はどんなことに用いるのかを知りたい。これは女工が現実に対する妥協であり、反抗活動を担うことができない表現である。希望を与えられる松戸与三も同じ職場に固定され、同時に思い家庭的負担で酒を飲むお金さえなかった。激務、ごくわずかな給料、重い家庭的負担、すべてこの社会の不公平を暗示し、資本家の残酷さを訴える。だから、女工の手紙を読んだあと、松戸は同じ運命を持っている仲間を見つけ、自然的に同じ戦線に立って、「何もかもぶち壊して見てえなあ。」しかし、残念なことは、女工の手紙を読んだセメント工人も資本主義を対抗することができない。彼らはひどい経済状況の目の前、社会に妥協するほかない。女工の手紙はただの触媒であり、松戸の不満だけを深めたけれど、これで現実を対抗するのは物足りないのである。葉山佳樹は、プロレタリア文学の先駆者と言われている。「セメント樽の中の手紙」1は葉山嘉樹の最も傑出した短編小説である。小林多喜二は日記で「这个作品构思好,一面通过作品中女主人公的态度,出色的从自然主义文学中超脱出来。」2と書いた。宇野浩二はこの作品は「淫売婦」よりよく書いて、「是一篇真正值得心爱的作品」3と評価した。久保田正文もこの作品に対して「近代文学史上屈指可数的杰出短篇小说之一。」と4言った。しかし、この小説も『淫売婦』(1925)、『海に生くる人々』(1926)と言ったほかの代表作も、あからさまな生を描き、プロレタリア文学と言う枠には納まらない質を持っていて、見直されつつある。今「解放運動無名戦士之墓」と名づけられた彼の墓には、「馬鹿にはされるが真実を語るものがもっと多くなるといい」という彼のことばが記されている。参考文献:1.刘光宇「叶山嘉树创作简论」『外国问题研究』1998年4期2.王真「叶山嘉树《水泥桶里的一封信》的深层寓意」『经营管理者』2010年7月3.李芒「论叶山嘉树」『日语学习与研究』1984年10月4.浅田隆,方阳「《叶山嘉树日记》中的“转向”痕迹」『外国问题研究』2010年5月5.叶山嘉树「叶山嘉树集」『筑摩书房』1979年1叶山嘉树创作简论2叶山嘉树创作简论3叶山嘉树创作简论4叶山嘉树创作简论
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