您好,欢迎访问三七文档
当前位置:首页 > 金融/证券 > 金融资料 > 金融危机における投资银行のビジネスモデルの崩壊に関する一考察
― 37 ―金融危機における投資銀行のビジネスモデルの崩壊に関する一考察厳 偉祥* Investment banks have played an important role in the capital market, especially, the direct finance developed at present. Raising capital for corporations, providing advice on transactions such as mergers and acquisitions, as well as trading securities are the main businesses of invest-ment banks. Because the financial engineering developed, investment banks have continuously created securitized products such as Residential Mortgage-Backed Security (RMBS) and �ollateralized Debt Obligation (�DO) since 2000. The scale of securitized products climbed to $520 billion and reached the peak at the end of 2006. Investment banks and other financial institutions got huge profits from the capital market. But, the price of securitized products such as �DOs have plum-meted to the ground when the subprime mortgage crisis happened, so hedge funds, mutual funds and investment banks have suffered huge losses in the global financial crisis. Even if the fourth biggest investment bank Lehman Brothers had to file for bankruptcy protection on September 15, 2008. This paper will analyze the business model of investment banks, and examine whether an excessively expanded business of investment banks connect with this financial crisis. はじめに21世紀に入り,国際金融市場において,投資銀行は証券引受,M&Aへの助言,金融革新などの業務面でめざましい躍進を遂げた。効率の向上を図り,IT情報技術を利用して先端的な金融取引システムを構築するために,高度な金融工学を駆使し,ABS(資産担保証券),RMBS(貸付債権担保住宅金融公庫債券),�DO(債務担保証券)などの新しい金融商品が開発され,さらにデリバティブ取引も盛んに行われている。投資銀行は好調な発展をとげる中で,商業銀行も投資銀行業務への参入意欲が強くなってきた。しかし,米国では1933年銀行法により,「銀証分離」規制が制定されたので,商業銀行は証券業務を兼営することができなかった。一方,「銀証分離」規制がない欧州の銀行は商業銀行と投資銀行を兼営している。ドイツ銀行,UBSを代表的な欧州系の銀行は世界各国の証券業務へ浸透しながら,米国に「銀証分離」規制の撤廃を強く求めた。1998年にシティ・コープと保険大手のトラベラーズ・グループ(傘下に投資銀行ソロモンを保有)との合併をきっかけに,米国議会で金融制度改革法(グラム・リーチ・ブライリ法)が キーワード:投資銀行,直接金融,証券化商品,債務担保証券 *本学大学院経済学研究科博士後期課程― 38 ―地域総合研究 第37巻 第2号(2010年)1999年成立した。これによって銀証分離という規制が緩和され,金融持株会社の方式で銀行・証券・保険の相互参入が可能となった。このような中で,投資銀行業界の競争がいっそう激しくなった。2007年のサブプライムローン問題が発生するまで,投資銀行は各業務が順調に発展してきた。しかし,同年8月に,フランスの最大手銀行であるBNPパリバは傘下の三つのヘッジファンドが巨額損失を発生し,三つのファンドの凍結を余儀なくされた。このショックを受けて,世界の株式市場が暴落し,サブプライムローン関連債券の価値も急落した。世界の金融機関やヘッジファンドは次々に巨額損失を被ったことが発表され,資本市場で一気にクレジット・クランチに陥った。サブプライムローン問題の震源地である米国において,投資銀行が最も打撃を受けた。米国投資銀行5位のベアー・スターンズが,サブプライムローン問題が原因で経営が急速に悪化し,JPモルガン・チェースに買収されたのをはじめ,2008年9月15日,投資銀行4位であるリーマン・ブラザーズは,連邦破産法第11条を申請して破綻した。3位のメリルリンチが米大手銀行のバンク・オブ・アメリカに買収され,投資銀行首位のゴールドマン・サックスと2位のモルガン・スタンレーが銀行持ち株会社に移行することになった。結果として,高収益を稼ぎ出した米国投資銀行のビジネスモデルに幕が下りた。リーマン・ブラザーズの経営破綻を受け,各国の株式市場は金融株を中心に軒並み急落した。国際金融市場で信用収縮が一段と深刻になり,実体経済に大きく打撃を与えた。世界各国が,企業の業績悪化,失業率上昇,経済成長鈍化などの状況を直面し,まさに「百年に一度の経済危機」となったと言っても過言ではない。本稿では,投資銀行のビジネスモデルを分析して,投資銀行の過度な拡張が今回の金融危機にどのようにつながっているかについて検討し,投資銀行の今後の課題について考察する。1.投資銀行の躍進米国SIMFA(全米証券業者・金融市場団体)の2006年のレーポトによると,2006年までの世界の株式時価総額は49.2兆ドル,債券が60兆ドル,店頭デリバティブが11.5兆ドル,これらの証券合計で,約121 兆ドルである1。世界の証券市場の規模は,過去5年間に74%拡大した。証券引受の担い手としての投資銀行は,世界の証券市場の規模拡大の役割を果たしながら,主要業務の証券引受からM&A仲介,トレーディングまでの多様な展開を行っている。1990年代中頃から,金融自由化とIT情報革命を推進したクリントン政権の経済政策に後押しされる形で,多くの米国系投資銀行がITのグローバルネットワークを構築した。その過程で米国系投資銀行は,株式,債券,デリバティブに及ぶ金融取引を効率的に処理することができた。規制緩和による国際間の資本移動はこのネットワークを経由して,ボーダレス化を実現した。各国の金融自由化は,投資銀行の躍進に大きな舞台を提供したのである。1)金融業界の規制緩和(1)大恐慌からの銀証分離1929年までに,米国経済は目覚ましい成長を遂げ,資本市場では大きな変化が起こった。企業の収益力向上の背景に,企業は銀行借入より証券市場で資金調達する意欲が高まり,つまり間接金融から直接金融へシフトする傾向が見られた。株価の上昇に伴って,新規上場企業が急増し,株式による資金調達が主流となった。1 Securities Industry and Financial Markets, FactBookGlobalAddendum2006, p9― 39 ―金融危機における投資銀行のビジネスモデルの崩壊に関する一考察 当時,商業銀行は,証券子会社を通じて投資銀行業務を展開していたが,大恐慌の前に,この動きがさらに活発化した2。しかし,1929年10月,ニューヨーク市場で株価が暴落し,銀行は保有した有価証券が無価値となって,多くの銀行が破綻という窮地に追い込まれた。大恐慌の最中の1933年に,グラス・スティーガル法が成立した。同法は,商業銀行による株式や社債の引き受け禁止,投資銀行による預金受け入れ禁止,商業銀行と投資銀行との提携禁止などが規定されていた。その時から,正式に「銀証分離」制度が導入された。1940年代に,米国では,モルガン・スタンレー,ファースト・ボストンという代表的な投資銀行がマーケットシェアを拡大していた。(2)規制緩和1970年代以降,先進国が変動為替相場制に移行したため,為替市場で取引量が急激に増えて,投資銀行は高額の手数料を獲得した。また,1980年から1987年にかけて,企業や中央・地方政府が新しい債券を続々発行したため,引受業務が飛躍的に拡大し,債券市場が爆発的に成長,拡大していった3。1980年代に,資本市場は空前の繁栄期であった。メリルリンチ,モルガン・スタンレー,ソロモン・ブラザーズを代表する10大投資銀行は,1980年より1984年の5年間で資産規模が410億ドルから1,449億ドルと成長を遂げ,資本収益率が54.3%に達した。この間で,投資銀行の収入源泉は多様化し,主要収入である証券引受から証券トレーディング業務に偏重する傾向があった。さらに,モーケージ担保証券,金利スワップなどの新たな商品開発に力を入れ始めた。投資銀行が好調であったのに対して,商業銀行は,預金と融資だけに頼る伝統的な業務を行っていた。しかし,これでは,収益を伸ばすことが困難であり,投資銀行業務への進出を強く求め,金融制度の見直しについての議論が高まった。FRBは商業銀行の競争条件を他の金融サービス業と同一することに賛成していたため,1987年4月にシティ・コープなど3行に引受を業とする証券会社の設立を認可した4。このように,規制緩和は商業銀行にとって追い風となった。大手商業銀行は利益を拡大するため,積極的に証券会社の買収や合併に動き出した。1997年にバンカメが中堅証券会社ロバートソン・スティーブンスの買収を発表した。1998年にシティ・コープと保険大手のトラベラーズ・グループ(傘下に大手投資銀行ソロモン・スミス・バーニーを保有)との合併がFRBより例外的に承認された。1999年に,議会に提出された金融制度改革法案(GLB法)が成立した。これによって,銀証分離規制が緩和され,金融持株会社方式で銀行・証券・保険の相互参入が可能となった。米国では,金融構造の変化とGLB法の成立から,シティ・グループ,JPモルガン・チェースおよびバンク・オブ・アメリカなどの代表的な総合金融グループの形成が進展してきた。FRBと米国財務省の共同報告書によれば,2003年3月末の金融持株会社数は銀行持株会社数の12%にあたる630社であるが,銀行持株会社の資産残高に占める金融持株会社の当該比率は78%に達した。金融業界の規制緩和によって,次の3つの影響がもたらされたと考えられる。①金融再編が一段と加速し,金融のコングロマリット化が進むとみられる。特に,銀行が生保や証券会社の買収を活発化させるとの見方が多い。②企業や家計が幅広い金融サービスを同一店舗で受けるなどの効率的なサービスが提供できることになる。③競争促進に伴い,銀行,証券,保険関連の手数料が引き下げられれば,その利益を享受することもできる5。2)直接金融の拡大企業が外部から資金調達をする方法として,大きく分けて「直接金融」と「間接金融」の2つがある。2 Richard S. Dale, InternationalBankingDeregulation, Wiley-Blackwe
本文标题:金融危机における投资银行のビジネスモデルの崩壊に関する一考察
链接地址:https://www.777doc.com/doc-250345 .html