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発行日:1997年9月9日杉岳通信139号制作・発行人:中村利夫編集人:安岡正俊発行所:杉岳同門会杉並区和泉3-59-21・元昭の娘に会いに八ツ岳へ行った話平成9年8月2日~3日高橋勇7月の中旬に元昭から電話があった。「八ツ岳に行こうぜ」「貧血で頂上近くなるとバテバテになるからな」と逃げの一手「鉄剤飲んでいる位だからだめだと思うけど」「美春(元昭の娘)が今年も八ツ岳の硫黄山荘か根石山荘でアルバイトやっているから---女房(久江さん)も行くので美春を根石の方に呼んでおこうと思うし、高山植物でも見ながらのんびりと」「それに美春がいさむおじさん(私の事)に会いたいと言っていたよ」こういうのを中高年殺し文句という。「救心飲んでも行くぞ!」どんな娘になったかな。最初見たのは21年前三ツ境の南側の窓辺で生まればかりでおむつして肌着一枚で手足をバタバタして私の来たのを喜んでいた。木の間越しの緑の光をいつぱいにあびて目をきらきらさせていた。その後横須賀の家へ私の息子共とチョイチョイおじゃました。私と手をつないだり息子共と手をつないでよく浜へ魚つりに行ったものだ。おかっぱの髪でいつのまにか親に似て目もチョッと細めになりふっくらとしたところはやっぱり両親共そうであるのでしょうがない。でもふしぎな位手をつなぐのが好きな子で、おやじはバケツとつりざおをかついでいたので私は女の子がなかったので特別かわいくて手をつないでよく浜まで行ったものだ。話はとぶが同門会の娘達はどういうわけか皆仲々器量良しである。吉村君の末央さんはじめ中村さんの葉月さん、鳥沢さんの典子さん、美春さん、娘さんみんなおおむねおと父さん似であるにもかかわらずふしぎにも皆仲々良好な美人でかわいい娘達だと私は思う。数年後みんな嫁にやりたがらずおやじの責任でみんないかず、いかずで困っているんじゃないかなー。また、もどって久江さんがとってくれていた急行アルプスで茅野で下り、タクシーで麦草峠。ここで救心をのみ舌がじーとしびれながらやっぱり全々ねむれなかったのが心配になる。夜明け前の麦草峠で早くも「テガタチドリだ。」「ハクサンフウロだ。」と始まる前途遼遠。森林の中で朝霧の御来迎、花を見ながら写しながら東西の天狗をすぎるとお待ちかねの美春さんが待つ根石山荘である。ではこれにてー。うす暗い、何ともいえないにおいと、とても立派でない小屋に入って、おじさんチカチカキョロロと見回す。うすよごれたのれんをかき上げてにっこりと出てきた15年ぶりの御対面「よおー」「久しぶりです。いつ以来ですか」「確か三ツ境でおむつやってバタバタしてた」「やーだ」でおしまい。おじさんとくだらない話をしているひまなどない。60人以上の客を4人でさばいている。「こんにちは」登山客と明るい声、てきぱきと小屋にぞろぞろやってくる客に応対して、やれ「ビールだ」「コヒーだ」宿代十何万円だと「ありがとうございました」おじさんじっと見つめる。健康的で明るくあまりに素晴らしく感動的でさえある。翌朝登山客が皆出かけたあと少しふとんの整理を手伝だって少しお話をした。ずっとうちの息子共を本当のいとこと思っていて「ようチャン、やっチャン...(うちの息子共)がいとこでなくだれがいとこなのよ」といった話、その後ずーとごぶさたしてしまった私はやっぱり義理のおじさんである。こまくさと共に写真をとって美春さんと握手をして(私は若い女の子とは必ずそうすることにしている)久しぶり手をつないだら手が荒れてざらざらしていた。これも一所懸命に仕事している証拠。別れの時がきた。小屋の前で手を振る娘を見ておとうさんよりおじさんの方がじんとなっていた。夏沢から本沢をすぎて、みどり池のしらびそ小屋でレギュラーコーヒーをごちそうになった。コーヒー豆をひいてコーヒーを入れてくれた。私のにぶい鼻がコーヒーの香りをこんなにおいしそうにかいだ。ここは元昭一家が毎年来ている小屋で小屋番さんも親切である。たしか数年前雪の北八ツを越えてこの小屋でリスにえさをやっている美春さんと元昭の写真を見た事があるが、今日も止まり木にリスがあらわれた。静かな花の小旅も終り稲子湯で汗を流してしめくくった。・白神山坂本不二子、膺嘉、安岡和子、正俊1997年7月20日白神山。人生、こういう瞬時って幸せなのねェー。白神山の山頂附近でこういう視角でとったタカさんに乾杯!山行報告・短報1996年終盤編:中村利夫・伯耆・大山、蒜山同行小坂1996年11月3日~4日2日の夜行バスで米子へ。3日大山寺-大山頂上。更に剣ヶ峰を越え元谷小屋-大山寺。駅前ビジネスホテル泊。4日レンタカーで蒜山国民休暇村先の登山口へ。二百名山・上蒜山往復、米子-羽田は小坂のお陰で格安航空券使用。<感謝>・百蔵山<忘年ファミリー山行>既報1996年12月1日・九州:霧島・韓国岳、高千穂峰単独1996年12月21日~24日21日羽田-宮崎、レンタカーでえびの高原国民宿舎へ。22日登山口に車を置き、霧氷で白く輝く韓国岳を往復。これで百名山は完登となる。車で高千穂峰登山口へ。晴れてきたが強い風の中、高千穂峰(二百名山)を往復。家族づれのパーティも結構いる。次の目標である高隈山(三百名山)目指し車で垂水まで行ったが宿を確保できなかったので桜島・古里温泉に泊まる。23日再び垂水から内野経由猿ヶ城林道を行ったが、林道工事で通行止め。やむなく、高隅山はあきらめ、桜島(二百名山)へ向かう。三合目湯の平展望台まで車で上り、荒々しい溶岩帯と噴煙を上げる南岳を見るのみ。ここから先は登山道もないし登山禁止である。その後西鹿児島へ。ここでレンタカーを乗り捨て、予定通り、指宿国民休暇村の川合君のところに向う。鹿児島支部長・川合休暇村支配人と夜遅くまで焼酎を飲む。24日開聞岳は2人ともすでに登っているので割愛。川合君の車で南薩摩のドライブ。長崎鼻、池田湖、知覧町を廻って鹿児島空港まで送ってもらった。南国はあたたかくてよい。おみやげに焼酎までくれて、川合君本当にありがとう。<付>夕刻東京に戻ったら新橋の居酒屋で小坂、牧野両君が待っていた。百名山完登祝いと称して3人で川合君の話題をまじえて歓談。山行報告・短報1997年前半編:中村利夫今年は月2山行を目標とする。・奥多摩・本仁田山(1225m)単独1997年1月12日鳩の巣駅-本仁田山-安寺沢-奥多摩駅上部は年初に降った雪が30cm位残っている。ダブルストック、アイゼン着用の中年女性なども見られた。・奥多摩・浅間峠-土俵岳(1005m)同行:安岡(正、和)1997年1月18日とりあえず、車で中央道に入り藤野Pでどの山にしようか3人で相談。当初予定の槙寄山のつもりが道を間違え、トンネルを抜けて五日市側へ出てしまったが、幸い上川苔の手前で浅間峠への登山口を見つけたのでそこから土俵岳を往復。笹尾根稜線上はところどころ雪が残っている。相変わらず、中高年パーティーが多い。帰りには数馬の湯で汗を流し休憩。・甲州・徳並山(1117m)、甲州高尾山(1306m)同行:安岡(正、和)、小坂1997年2月2日甲斐大和(旧初鹿野)駅近くの駐車場に駐め、真北方向の徳並山を往復。この時期、こんな山でも1パーティ出会った。相手の方もびっくりしていたが。山村さんの本(*注1)の影響だろうか。頂上部のみ残雪があり、四等三角点と明治時代の御料局の大きな三等三角点が並んである。ついでにもう1山、勝沼から大滝不動を経て雪の林道を上り甲州高尾山へ。こちらは車道から10分程度でピークに達する。さっき登った徳並山を南側から眺める。*注1山村正光「中央本線各駅登山」1994年1月山と渓谷社・甲州・セイメイバン(1006m)-大岱山同行:安岡(正、和)、小坂1997年2月23日大月駅・(バス)西奥山-峠-セイメイバン-大岱山-金山温泉・(タクシー)大月駅行程中雪なし。大岱山手前で中年10数人のパーティと会う。金山温泉でビール。大月駅でビール、酒。永福町でビール、焼酎。・甲州・岩殿山(636m)単独1997年3月9日大月駅-岩殿山-稚児落し-782mピーク-峠-日影・(バス)大月駅岩殿山から尾根伝いに、前々週歩いた鉄塔のある峠まで歩き日影部落へ下りる。後半部分は全く人に会わない。・道志・石老山(694m)単独1997年3月20日・甲州・鶴ヶ島御前山(484m)、四方津御前山単独1997年3月29日中央沿線沿いにはもう一つ梁川と鳥沢の中間地に523mの御前山があるので1日に3山を登ろうと思ったが3つ目は取付点がはっきりしないので2山で終わり昼過ぎには車で自宅に戻った。山では誰にも会わなかった。山下には「70才で登る山だ」小坂にも「3つたしても2000mに満たない」と嘲笑されてしまった。・高尾山(600m)-小仏峠単独1997年4月6日安岡主催の恒例・お花見が午後からあるので、午前中に一歩き。高尾山口駅へ着いたら雨が降り出してきたが、傘をさして登る。小仏峠から小仏部落の道は初めてだがいかにも往古の峠道らしくて良い。高尾着11時。・会津・男鹿山(1771m)<福島・栃木県境>同行山下1997年4月19日この山は名にし負う三っ星の山(参・137号P.3)である。残雪期をはずすと登りにくいので山下の誘いに一も二も無く乗ることにした。東北道から塩原経由会津西街道へ入り、横川から男鹿川沿いに車を進める。白滝橋まで車で入れると思ったが数キロ手前でゲートが閉まっている。テントを持ってゆくか、ラッシュで往復するかしばし迷ったあげくラッシュに決める。林道歩きの後、廃道のヤブコギが始まったが程なく廃道も終点。山下の事前調査資料に基づき、ここから沢に下り、すぐ左に枝沢を見送り本谷を赤会符をつけながら進む。二又を左にとると沢は雪に埋り三又に出合う。左の谷を詰め男鹿岳西の肩に上る。ゲートより約4時間、頂上は樹林に覆われ遠望は良くない。積雪は1.5m位。帰路は往路を忠実に、三又まではアイゼンを着用して下る。17時前にゲートまで戻れたのでそのまま帰京。ルートを間違えなかったので案外楽に登頂できた。・甲州・曲岳(1642m)、黒富士単独1997年4月27日5月連休の佐武流山用に靴を新調したので足ならし。杉岳荘より車で観音峠。そこから黒富士往復。・白砂山(2140m)・佐武流山(2192m)<ともに二百名山>同行山下、安岡(和、正)1997年5月3日~5日3日杉並・関越道・渋川・長野原・野反湖(8:40)→白砂山(12:35)→幕営(13:00)7時渋川で山下(前夜泊)をひろって野反湖へ。除雪された駐車場には佐武流山を目指す登山者の車他十数台。霧と時折強い風の中白砂山を越え、沖の西沢の頭手前の雪の平坦地に幕営。近接してテントが2パーティ。4日(雨曇後晴)BC→佐武流山→BC早朝、雨まじりの濃霧の中を下のテントを出発したパーティーが上がってくる。天気の回復をを待ち7時40分にBC発。残雪とブッシュ混じりの稜線に数十枚の赤会符をつけながら進む。苗場山からの縦走パーティもありトレースは判りやすい。山頂10時35分~11時、BC着13時45分。午後は、やっと晴れてきたので遠望の山々を眺めのんびりくつろぐ。5日(曇)撤収(5:15)発。往路を戻る。地蔵峠で安全登山祈念名刺奉納。駐車場着9時。・外秩父7峰40Km縦走単独1997年5月11日東武・小川町駅-官の倉山-笠山-定峰峠-大霧山-皇鈴山-寄居駅超健脚向10時間コースを時間内達成。但し、ジョギングシューズに中手の靴下だったため、足の裏・マメが出来てしまった。・南ア深南部・蕎麦粒山、高塚山(1621m)<三百名山>同行安岡(正、和)、小坂1997年5月24日~25日24日(雨)15時東名道・海老名SAで小坂をひろって静岡ICから川根町経由雨の中、林道終点・山犬の段(1400m)の立派な小屋(無人)に着く(21時)。25日(晴)早暁、バスが着き、仮眠の客の出入りでさわがしくなった。5時頃朝食を始めていたら、バスの新ハイの一団の中に何と鳥沢氏がいる。『何でお前らここに
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