您好,欢迎访问三七文档
当前位置:首页 > 行业资料 > 国内外标准规范 > 先行研究の整理と研究方法
-4-3.先行研究の整理と研究方法(1)日本では、小長谷有紀、中尾正義、シンジルト、児玉香菜子、マイリーサなどの学者たちが生態移民を研究している。総体的に、研究成果としては、小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編「中国の環境政策生態移民緑の大地、内モンゴルの砂漠かを防げるか」①、「中国辺境地域の50年――黒河の人々から見た現代史」②の二本が挙げられる。エゼネ旗における事例を直接に触れた日本国立民族学博物館教授である小長谷有紀先生は生態移民の前夜の状況と中国の第二番目の内陸川である黒河の流れ――その二千年の歴史について詳細に紹介した。そして、該当地域の遊牧民と交流を通じて、初めて、移住させる必要があるかどうかと疑問を持っている③。小長谷先生は「地球環境の問題というと、あたかも自然現象のように受け取られがちだけれども、実際のところ人間の問題である」と問題の本質を直接に明かしている④。地球研の中尾先生は生態移民が生態上黒河流域の地下水資源の過剰消費という結果に繋がってきていると、経済上移民たちの生業の転換につながるとまとめた。そして、文化上「生態移民」政策の後ろに、いわゆる漢族の文化と少数民族の文化との価値観の相違、あるいは相克のようなものが存在していそうだということは否めないと指摘している⑤。児玉香菜子さんはエゼネの自然生態環境、つまり一番肝心な問題になる地下水資源と移住して来た遊牧民の生業形態の転換と生活上の変化などについて深く触れた。「黒河流域の大規模灌漑によって、エゼネ旗の湖の消失、河川の縮小、胡楊林(ポプラの林)の荒廃が起こされた。それにもかかわらず、エゼネ旗では地下水源に依存する灌漑を必要不可欠とする生態移民政策や退牧還草政策が実施されている。もし、このような政策が完全に実施されるならば、当初の目的とはまったく逆に水資源の枯渇を招くことになる。水資源の枯渇は、胡楊林保全の失敗だけではなく、人々の生活資源そのものを奪うことになるだろう。そして、生活基盤を奪われたエゼネの旗の住民は、エゼネ旗から移住しなくてはならなくなる。そうすれば、エゼネ旗そのものが廃墟と化し、『カラ·ホト』化すことになるだろう。」⑥と物的面から指摘した。生態移民政策とは、オアシスの保全を目的にオアシス内で暮らす牧畜民と家畜をオアシス外に移住させてオアシス内での放牧を禁止するという政策である。生態移民政策の対象人口はエゼネ旗の総人口の一割以上にのぼる⑦。生態移民政策とは、エゼネの人々が過去50年間に体験し、高い代償を払ってきた強制移住、農業生産の拡大という要素をもつ政策であるといえよう。それゆえに、多くの牧畜民が不安を感じていたのである⑧。居住形態の変化と生産形態の変化の面に言及した。シンジルトさんは国家の統合、つまり国家が少数民族に対する支配、文化の衝突、つまり農耕文化と遊牧文化の対立の視角から生態移民を解釈している。「漢族を中心とするいわゆる中華的な考え方のなかでは少数民族の伝統文化と宗教に対する一種の偏見-5-が長く存在してきているようである」⑨と指摘し、「われわれが長らく育んできた自然との付き合い方、われわれの文化と呼んでもよいかもしれないが、そのものを問い直す必要があるのではないか」⑩と主張している。マイリーサさんは生態問題の社会的要因と社会秩序を明らかにした⑪。(2)中国では、内モンゴル自治区の生態移民について研究を行っている学者の中で、代表として中央民族大学の包智明教授、任国英教授、そして内モンゴル大学の準教授のゲゲンゴワさんと内モンゴル社会科学院の研究者のオユンバトさんの四人がいる。包先生は生態移民のことを生態環境の悪化によるあるいは生態環境を保全し改善するために起こる移住活動及びその活動による人口の遷移であると定義した。転出地と転入地を決めることは移民プロジェクトが成功するかどうかの肝心な鍵となる。基本的原則としては転入地の悪化した生態環境を保全し回復することを考える上で、転入地に新しい生態環境問題をもたらさないことをも考えるべきであると分析している。移民に対する経済上の補助について、充分な補助を与えるという前提のもとに、相応しい政策措置を見合うべきである。生態移民プロジェクトを実施するにあたって、必ず移民たちに政策と計画の制定に参加させて、外力の強制的作用によって少数民族としての移民たちの文化が消失することを避けるべきであると主張している⑫。生態移民の居住地の変化を認めているが、生産形態について伝統的遊牧から畜舎飼育をする必要性はあるかどうか。それを言わなかった。生態移民を必ず移民村に集中するかどうか。それをも言わなかった。昔から遊牧社会で保たれていた「人――牧草地――牧畜」のバランスを生かすべきであると指摘したが⑬、生態移民の実施中にどのような形でしたらいいか。それを詳しく触れなかった。任先生は一つの民族の伝統文化の形成することは当地の人々がその自分を取り込む生態環境に長い時間で適応した結果であり、各民族の生産と生活形態は存在する合理性がある。生態環境が破壊される時、有効な措置を採って人と環境との関係を協調するべきである。われわれは政策と措置などを制定するとき、経済の効率を追及し成功を焦り簡単的に別のところの経験を真似ないで、民族文化の役割を無視することを避けるべきであるとまとめている。そして、できるだけ、生態移民を実施しない。生態移民を余儀なくされた時でも科学的に計画を立てて、地元の人々に参加させて、彼らに自分たちの意思を発信させ、民族文化の長所を生かすべきであると主張している⑭。大義名分と言われても、生態移民政策はエゼネの遊牧民の生産、生活形態を尊重すべきである。それを尊重しなければ、生態移民は実際から脱して見せ掛けの空論になる恐れがある。ゲゲンゴワさんと内モンゴル社会科学院研究者のオユンバトさんの二人の生態移民に対する研究はモンゴル族の生産、生活の物的面、文化(精神)の面、制度の面から展開されている⑮。纏めると、生態移民を水資源の利用と関係がると、漢族とモンゴル族との文化、価値観の衝突と関係があるとか、「人――牧草地――牧畜」のバランスから見るとか、生態-6-移民を実施する時、少数民族の伝統的生産、生活形態を尊重すべきであるとかの見方がある。他に、生態移民に対する何人の修士、博士の論文を見たが、生態移民の適応、生態移民は遊牧民にもたらした影響、生態移民のアセスメント、生態移民の構築などの研究があった。筆者は本稿で、包先生の「遊牧の『人――牧草地――牧畜』のバランスを生かすべきである」という考え方、ゲゲンゴワ先生と内モンゴル社会科学院研究者のオユンバトさんの二人の「生産の面から」の考え方と仁先生の「遊牧民の生産、生活形態を尊重すべきである」という考え方を踏まえて生態移民に伴う遊牧から定住化に対して分析を行っていきたいと思う。エゼネの遊牧民の生産、生活の形態というものはいったい何であろうか。そして、生態移民によって、どうように変わっているのか。それは生態移民の後うまくいっているのか。もし、政府側が最初から期待していた効果が出られなかったら、その原因は何であろうかというふうに。わかりやすくするために、内モンゴル東部地域で実施されている「退耕返林」、「(半)畜舎飼育」と比較をした。生態移民の研究上、往々にして生態移民を水資源不足、沙漠化問題と関係して研究しがちだが、それを避けたいと思った。①小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編、2005、「中国の環境政策『生態移民』」昭和堂②中尾正義、フフバートル、小長谷有紀編、2007、『中国辺境地域の50年――黒河流域の人々から見た現代史』東方書店③小長谷有紀、2005、黒河流域における「生態移民」の始まり(小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編、「中国の環境政策『生態移民』」昭和堂、35‐56頁)④小長谷有紀、2005、あとがき(小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編、「中国の環境政策『生態移民』」昭和堂、309頁)⑤中尾正義、2005、地球環境問題と「生態移民」(小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編、「中国の環境政策『生態移民』」昭和堂、307頁)⑤児玉香菜子、2005、生態移民による地下水資源の危機――内モンゴル自治区アラシャン盟エゼネ旗における牧畜民の事例から(小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編、「中国の環境政策『生態移民』」昭和堂、75頁)⑤児玉香菜子、2007、エゼネの五○年(中尾正義、フフバートル、小長谷有紀編『中国辺境地域の50年――黒河流域の人々から見た現代史』東方書店、178頁)児玉香菜子、2007、エゼネの五○年(中尾正義、フフバートル、小長谷有紀編『中国辺境地域の50年――黒河流域の人々から見た現代史』東方書店、179頁)⑦シンジルト、2005、「生態移民をめぐる住民の自然認識――甘粛省粛南ヨゴル族自治県A村における事例から」(小長谷有紀、シンジルト、中尾正義編、「中国の環境政策『生態移民』」昭和堂、246――269頁)⑧同上。⑨マイリーサ、2007、流域の生態問題と社会的要因――黒河中流域の高台県の事例から(中尾正義、フフバートル、小長谷有紀編『中国辺境地域の50年――黒河流域の人々から見た現代史』東方書店、145――158頁)⑩マイリーサ、2007、-7-
本文标题:先行研究の整理と研究方法
链接地址:https://www.777doc.com/doc-5171932 .html