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―1―熊 沢 一 衛現代日本人の死生観の形成―仏教の役割と提言― 本論文は、現代の日本人の心のあり様(よう)と社会の諸現象との関係を把握したいという目的を持っている。そのために、まずは生き方の根本に関わる、生と死についての考え方を歴史的に振り返り、今日のその姿を捉えてみることにする。一方で、われわれの周りに起っている現象からその起ってくる根源にまで考察を深めてみる。この両方向の接点に注目していきたい。さらに、今ここで4444生きるという観点から日本の社会や精神の歴史で大きな役割を果たしてきた仏教の役割と提言に絞り、上記の接点においてなにか有効な役割を果たしているのかを客観的にまとめてみた い。(1)以下、論旨を明確にするために、箇条書きのスタイルを取っていくことにする。1)タイトルの説明a.「現代とは」― 1945年以後から2008年までを考えるのが順当かとも思われる。しかしわれわれは、バブル崩壊(1990)以降からに限定して考察する。それは価値の転換と新しい状況がこの時期に生まれていると思えるからである。より正確には、少なくともそうした新しい価値の生まれるチャンスはあったと思える。「現代」をこのように20年たらずに狭くしぼって見ることで、かえって正確に問題を把握することができよう。―2――3―b.「死生観とは」― 本居宣長(1730―1801)の研究者、子安氏の次の定義がわれわれには最適と思われるので、これを本論では採用することにする。「だれにも訪れる死とそして死後という究極的な暗部を予想しながら、あるいはそれに対応しながらたてる、なんらか現世におけるそれぞれの生を律するような観念体系。」(『日本における生と死の思想』(有斐閣、昭和52、 p.225) このような観念体系が宣長にはなかったと氏は述べている。たしかに、『鈴屋答問録』で「死は悲しむしかないものであり、儒や仏の説は面白おかしい作り事だ」という姿勢を宣長はとっている。彼は、『古事記』に登場する神々の行動に照らして自分のそれを定めるという一貫した姿勢を取っていた。死に対しては、悲しむことしか出来ない、安心(あんじん)はない。仕方ないとなる。あきらめることを良しとする態度がこの辺りから定着していくのである。(2)と同時に、近頃は異常なまでに健康ブームが浮いて流れる如くある。 一体われわれ現代の日本人には子安氏のいうような観念体系が存在するのかという鋭い問いがすぐに出てくる。また、これを現在の西洋、特にフランス人の死生観のあり方と比較するというのも有益かつ興味深いことである。しかし、この問題は、筆者は別に論じているのでここでは余り深入りしない。(3)c.「形成とは」― 形成されているのか、またその途中なのか、それとも形成されるのか、形成されるべき問題なのか、を含めて考察する。今の段階ですぐにも答えられるのは、確固とした死生観は形成されてはいないこと、そして困難ではあるがどのような形を取るにしても、時代によってそれほどに激しくは「ぶれない」だけの、しっかりとした生と死についての信念―2――3―が個人的にも、社会的にも確立することは望ましいのではないだろうか。 もとより戦前のような軍国主義で固まることは躊躇されるが、あまりにも、ばらばらなのもどうであろうか。ふらふらとしていることと、何ものにも執着しないでしかも身を律していくことの違いは大きい。d.「仏教の役割と提言」― 仏教の伝来以来の、仏教と日本人との関わりについてはこの後で簡略ながらも順次述べる。特に、(3)の項目「日本人の精神史」を参考にしてほしい。そこでは、仏教が歴史的に日本の社会でどんな役割を果してきたかを、簡単に箇条書き風に振り返る予定である。 その後、どんな役割を期待できるか、またすでに役割を果たしているのか、どんな提言を咋今しているのかを客観的に見ていこう。「生を明らめ死を明らむるは仏家一代の因縁なり、・・・」(4)と唱えられるように、仏教がわれわれのテーマ ―死生観の形成― に大いに関わることだけは、ここで既に言い得るだろう。現代の無関心な信仰の状況 ―いわゆる無信仰― 故に仏教側からの提言がどの程度、人びとの心に浸透しているのかが、究めるべき問題であろう。2)バブル崩壊後(1990年以降)の主な出来事 タイトルの説明が、一応済んで、この第2)項目「主な出来事」では、できる限り精神に関わる出来事に限ってとりあげたい。阪神・淡路大地震は6000人もの死者を出した大災害であったが、その間に、「人びとが共同で助け合う姿を評価する」見方もたしかに存在するが(高瀬広居氏『日本仏教の再生求めて』)、個人を救うことに救済をためらう政府の姿勢や孤独な被災者の孤独死(自殺)も後になって多々報じられているので、独断ではあるがこの事件の大きさは認めつつもここでは精神的な面からは扱わないことにする。―4――5― さて、以下、様々な事件を簡単に整理するために、まずは問題を国外と国内に分けて列挙していこう。 国外では、ソ連の崩壊とアメリカの一極支配、経済のグローバル化が顕著になってきたことがこの時期の特徴である。資源と金融の力によって人びとの生活はいままで以上に圧倒されることになった。資源の少ない我が国は、さらに一層、知的財産を活用して生きていかねばならなくなっている。戦後から一貫して、国民、特に優れた技術者達の懸命の努力によって生活は豊かになり、物質的には救われてきたが、今後も国際的な日本の地位を維持する事態に厳しさは消えることなく存在する。 国内では、バブル崩壊を機に、われわれは、経済的に自信を喪失し不良債権の処理に官民とも追われ通した。「失われた10年」という言葉を経済学者が使い出してそれが流行した。2008年にはこの経済問題は一応解決し改善されたかに見えたが、また米国からのさらにひどい金融危機を受け、新たに経済的な危機が打ち寄せていると言えよう。すなわち、内も外も、経済によって、生活の基本の部分で不安にさらされ、精神は圧倒され続けている。将来に向かっては時代の閉塞感が満ちている。生活を担うべき人びとの苦悩は、先ずはいかに生活していくかであり、その他のことに気を使う余裕もない状態である。「生活の質」を語っていた時代は既に過去となってしまった。 オウム真理教の事件(地下鉄サリン事件)が1995年に起こった。いくつかのカルト集団の林立も確認出来る。真の宗教と偽の宗教の差は何か、差はどこにあるのかを人びとに鋭く突きつけた。宗教一般に対する警戒感を人びとの心に生じさせたと思われる。精神的空白のなかに、悪がはびこっていったという印象を筆者はもっている。 「自殺者10年連続、3万人以上 自殺率20以上」という事実が次ぎにこよ―4――5―う。多くは、失業や倒産による生活苦が原因と言われている。しかし、専門家によれば、自殺率が20を超すと言うことは、その社会が病んでいる証拠である。自殺を思い詰めて実行してしまう人びとに救済の手が差しのベられないのは何故であろうか。政治と社会のシステムに関わる問題であろうが、今回のテーマ―である、「宗教心」にも大いに関わると思う。(5) 「老老介護」ということも取り上げられるべきであろう。老いて介護し合う双方の極度の疲労は大きな社会問題である。老夫が老婦を殺す、またその逆のケースが報じられる。これは政治の貧困が引き起こしている悲劇であり、今後減ることはなかろう。その背景として、男女とも、過去最高の長寿(男79歳、女85歳)を記録していること、他方では超少子高齢化社会が到来している事実も見逃せない。ちなみに、2005年の要介護の人は432万人に達している。 次に注目すべき出来事は「犯罪」である。犯罪件数の多さではなく、このところ無差別殺人が多いこと、また尊属殺人の多いことが痛ましいのである。具体例では、秋葉原で派遣社員で不満を溜めていた若者が何人もの無関係な人を刺し殺した事件が記憶に新しい。(2008年6) 雇用の形態が、バブル崩壊以降に、正規社員を減らして、出来る限り安く使える派遣社員制を採用するという変化が上記の事件の背後にはあるらしい。2004年からは、製造業にも派遣社員が大量に導入されていたことを、人びとは今さらのように気づきはじめた。右肩上がりで行くという見通しが狂ったのである。子供(14歳から職無しの30歳まで)の親殺しも多発している。命の大切さへの教育が欠けていると指摘されると同時に、この年頃の若者のこころがわれわれのテーマに関わっている。―6――7― 偽装事件の頻発も挙げられる。(ブランド名を偽って使う、賞味期限を変える、内容物や産地を偽る、等)儲けるためには、さらに自分が食って行くためには、人をだましてでも不正をする傾向が定着してしまった。言葉を変えると、モラルハザード(道徳観の破綻)とコミュニケーションが苦手な人(若者はインターネットに夢中になり友人と対話しない)が増加、と同時に何かに頼りたい気持はあるが誰も頼りにならないことが同居している時代ではないかと思われる。(犯罪者は人の気を引きたかったとよく述べている)。かってのような経済発展が日本にもう望めないなかでの生活不安が、こうした個人にのしかかっていることになる。3)日本の精神史(生と死の観点から見る) 1990年から過去へと遡る精神文化史の方法を敢えて取ってみる。その直前の時代の価値観が激しく転換される歴史をより鮮明にするために敢えてこの異例な方法を取るのである。(歴史的に、古代から現代へと見るには、最後の列から逆に見返すと良いだけである)。この作業をして、あらためて受けた印象はこうである。つまり、日本史には価値観上での断続の多いこと、日本の精神史は価値の継承の少ない歴史であることである。(a-hとh-aの両方から見て、変化に連続性が少ない。) 西洋の歴史と比較すると、この差がよりはっきりとするだろう。例えば、西洋(フランス)では、ルネッサンスは、キリスト教の背後に隠れていた、古代ギリシャ・ローマの文化を甦えらせた。モンテーニュはキケロやプラトンと対話して自己を形成し、新しくフランス文化を創出した。さらに彼の一生での死生観の変遷は、年齢や経験に加え、過去の文化遺産(ストイシズムとエピキュリズム)との対話で出来上がっていると言えよう。もちろん、キリスト教の精神は一貫して底流している。―6――7―それでは、日本の生死に深く関係する歴史を以下で概観してみる。a.今日から1945年まで遡る― 家父長制廃止、核家族が出現。人を束縛するイデオロギー(国家主義)より、経済のみに支えを求めて来た戦後50年の価値観が成立したが、それに対しての戸惑いと否定が1990年ごろから生まれはじめる。b.それ以前(明治維新から戦前)の価値観― 国家神道、廃仏毀釈、富国強兵によって江戸時代の価値をすっかり捨てさり、近代化路線を取ってきた。敗戦でそれらがまたしてもすべて崩壊する。国家神道のせいで、古来からの神道の精神も、本居宣長ともども雲散霧消する。c.それ以前、(江戸時代の精神)― 菩提寺と檀家制で寺院を利用して、キリスト教を禁教として弾圧をする。仏教は葬式と行政官の仕事に専念させられる。僧侶の妻帯を奨励する。僧侶はこうして信仰よりも家族の問題により関心を持つようになった。儒教を政治原理に利用する。(初代尾張藩主、徳川義直は儒教に心酔、葬儀、墓(廟)を儒教式とした。家来の殉死。)江戸時代には神仏合体から神仏分離へ進んだ。仏教に対して自殺行為を政府が設定したようなものである。d.信長と秀吉の時代(安土・桃山時代)― 比叡山焼き討ち、一向一揆弾圧(1570)に見られるように、宗教と政治を分離、宗教を政治に介入させないことが激しい形で実行された。キリスト教の布教にも余地(世界の知識吸収)が少しの間生まれる。その間を利用してザビエル(1549)らがキリスト教を広める。当初は成功。デウスと天の誤解で暗礁。島原の乱のあと、幕府の弾圧が過酷になり、信者は隠れキリシタン
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