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柳川・松濤園〝水の都〟柳川は、かつて蒲池、田中、立花各藩主により形成された城下町。筑後三十二万石の藩主として立花氏は十三代にわたり明治の廃藩まで柳川を治めた。その柳川は掘割が網目状に走る水郷で、「ドンコ舟」がなまこ壁や赤れんがの建物などの間を観光客を乗せて行き交う風情は〝水の都〟にふさわしい光景を醸し出す。また、明治後期『邪宗門』や『思ひ出』を世に問い、一躍にして近代詩壇の巨星と呼ばれ、さらに『待ちぼうけ』『ペチカ』『からたちの花』などの詩や童謡を残した北原白秋の生家が一部復元され、一般公開されていて旅人が後を絶たない。写真の「御花松濤園」は一六九七年(元禄十年)に建てられた立花氏の別邸で、部屋からは日本三景の一つ、仙台松島の美しい風景を模した庭園が大きなスケールで眺められる。一幅の風景画を見つめるようだ。樹齢二百年から三百年の松の古木が約二百八十本配されていて、カメラのファインダーからはみ出すような迫力が心に沁しみる。(写真・文 樋口健二)其の五十巻頭言巻頭言今、世界中に散在する都市から「夜を美しくしたい」という声が聞こえてくる。わが街が夜に魅力的な表情を呈することにさまざまな利益があるだろうからだ。太陽が沈んだ後の街の景観は、百パーセント人工照明によって作られている。道路や公園などの公共照明もあるが、オフィスや商業ビル、そして住宅から漏れる光なども、わが街の夜間景観を作る上での大切な要素だ。私はとりわけ建築照明や都市環境照明を仕事とする照明デザイナーとして、夜間を昼間のように煌こうこう々と明るくしてきた二〇世紀を反省し、これからのエコロジカルな時代に、さらに洗練された夜景づくりを期待している。二一世紀らしい快適で圧倒的に個性的な都市照明を目指してもらいたいものである。都市照明とは灯火の時代から始まるが、最初は安全を確保するための技術であった。防犯と交通の安全が期待された。安全への配慮ができてくると次に美しい夜の景観づくりが始まった。土木構造物や建築構造物がライトアップされ、夜間の街のランドマークにもなっていった。そして今後の課題となることは、橋きょう梁りょうや建築をライトアップすることだけではなく、住まう人にとって快適な光に満たされるということだ。快適な光とは嫌な光や光害とされる無駄な光を排除することにある。無駄な光とは不必要に天空に向けられた光だ。そして嫌な光や不快な光の筆頭は、グレアと呼ばれるまぶしい光である。屋外では道路灯や公園灯など、むき出しの放電ランプがギラギラしたまぶしさを発している。これは百害あって一利なしの悪光だ。これらの悪光を丁寧に排除していくだけで、街の中の光は格段に快適になってくる。光と人間との好ましい関係を私たちはきちんと学習すべきである。私たちの会社は、これまで東京都の臨海副都心部の照明マスタープランや、大阪の都市照明、そしてシンガポール政府からの依頼の「LightingMasterplanforSingaporeCityCenter」というプロジェクトを担当してきた。これらのプロジェクトを通じて、大切なことは、光の品質を向上させ人々に快適な光を提供することと、その都市にまつわる個性を照明に色濃く反映させることだと実感する。今年から私は、「和やかな景色」というコンセプトを掲げて、東京駅復元駅舎のライトアップを担当しているが、これも環境に優しくサステイナブルな光を都民に提供するためのものである。三階まで復元された赤レンガの建築ファサードが、優しい光で無駄なく丁寧に照らし出される姿に期待していただきたい。優しく和やかな夜間の景観が最先端のLED技術によって二〇一二年春に出現することになる。(めんで かおる)快適で個性的な夜景づくり(株)ライティングプランナーズアソシエーツ代表 面出 薫武蔵野美術大学教授 照明デザイナー特集1現在のようにミネラルウオーターが定着する以前、〝水を買う〟という行為はとても広まらないと思っていた。誰もが水道の蛇口をひねれば、水は無料で飲めたからである。しかし今では〝水を買う〟行為は当たり前どころか、どこのミネラルウオーターはうまいとか、硬いとか、優しい味がするとか、個人の好みで選ばれるようになった。と、いきなりこんな話をしたのは、〝水〟と〝夜景〟がとても似た存在だからだ。〝夜景〟は夜になれば誰もが無料で楽しめる夜間景観だ。しかし現在では〝夜景を買う〟という行為も日常化してきた。夜景のきれいなレストラン、夜景が見事な高層マンション……など、その事例を挙げれば切りがない。都内では昼間の富士山の眺望よりも、東京タワーの夜景が楽しめる部屋のほうが高額となるケースも多い。特にバブル崩壊後の夜景価値の上昇には目を見張るものがある。テレビ・新聞・雑誌等のメディアでは夜景特集が組まれることが増え、その結果、人々はさまざまな夜景に出会い、「私はレインボーブリッジの夜景が好き」「僕は展望台から望む都心の大パノラマだな」というように、自らの好きな夜景を手に入れるためなら、少し高くても自らが納得できる夜景を求めるようになったのだ。夜景評論家として十九年目になるが、数々の講演会やセミナーの参加者の声や、延べ三十万人を超える夜景専門の携帯公式サイト「夜景スタイル」のアンケートを分析しても、人々の夜景への価値観は今でも上昇する一方で目が離せない。広がる夜景観光、そして未来へ ―「日本夜景遺産」誕生から「夜景サミット」まで丸々 もとお夜景評論家・夜景プロデューサー日本夜景遺産事務局 局長夜景観光のポテンシャル―光のまちづくりへ地域のにぎわい創出に向けて全国各地でさまざまな取り組みが行われていますが、「夜景観光」にも大きな注目が集まっています。夜景に対する価値観が高まっている社会的背景を探るとともに、〝光のまちづくり〟を目指して、各地で広げられている活動を紹介します。特集◆夜景観光のポテンシャル―光のまちづくりへさて、夜景と観光の出会いはいつごろからだろうか。私の調査では、「日本三大夜景」とか「百万ドルの夜景」というキャッチフレーズが登場した一九六〇〜七〇年代の高度経済成長期と考えられる。国内旅行が盛んな時期で、火付け役は旅行会社。函館・神戸・長崎といった夜景が新婚旅行の目的地とされるなど、旅行商品としても数多く〝夜景〟が登場するようになった。しかし、現在注目されている「夜景観光」は決してその延長線上にあるわけではなく、前述した夜景への価値観が成熟期へ向かう二〇〇四年のころからだ。地方都市における歴史的建造物や橋きょう梁りょう等のライトアップが盛んになる一方で、私が事務局長を務める日本夜景遺産事務局による「日本夜景遺産」プロジェクトがスタートした時期からだ。これは、日本に存在する素晴らしい夜景資源を一定基準でブランド化し、夜景を有する観光地や施設とともに、人々に多く訪れてもらうための観光資源へと育て上げたいという目的・意志によるもの。具体的に言えば、観光資源として日本各地の埋もれたままになっている夜景資源の発掘、発表、価値付与、そして日本各地で〝夜景観光〟のウエーブの創造を目指すものである。選定基準としては、「すぐれた普遍的価値をもつ夜景」であり、「誰もが楽しめる夜景地(夜景鑑賞地)」でなければならず、八つの厳密な基準を設け、事務局によって現地調査を行い、認定が決定されている。日本の夜景観光活性化を目指す「日本夜景遺産」は、すぐ地方都市で受け入れられた。その理由は、地方の観光客の減少による経済効果のダウントレンドが背景にあった。交通の利便性はもちろん、個人客の旅行予算減等の理由により、通過型の観光地が多くなってしまい、滞在型(着地型)へと直接つながる観光コンテンツが求められていたのだ。〝夜景〟はその土地でしか楽しめない観光資源であり、かつ、夜間の観光コンテンツであるため、どうしてもその土地に宿泊せざるを得ない。そこで、「日本夜景遺産」ブランドとしての認定を好機ととらえ、その町に泊まる必然性をアピールし始めるようになった。その最初の例が「神戸」だ。神戸市は「一千万ドルの夜景」「日本三大夜景」という二大ブランドを有しながらも、その夜景が鑑賞できる六甲山・摩耶山への観光客が激減していた。そこで、日本夜景遺産プロジェクトを推進する私を夜景観光アドバイザーとして招しょう聘へいし、「六甲摩耶夜景活性化プロジェクト」を立ち上げた。参加者は山上の観光施設やホテル、ケーブル、ロープウエーの事業者の方々で、数カ月にわたり多くの議論が交わされた。結果、「神戸夜景マップ」の発行や、ケーブルやロープウエーの夜間運行と夜間演出、展望台での夜景案内板の設置、「摩耶★きらきら小径」等の展望台での夜景鑑賞環境の整備、通年型の夜景イベントの創出、現地で夜景ガイドとして活躍していただく人材「夜景ナビゲーター」の養成を全国に先駆けて始めた。その多々の取り組みは成果を上げ、二〇〇五年から山上への来訪者は下げ止まり、現在まで右肩上がりが続いている。やはり、私が夜景観光アドバイザーを務める長崎市でも二〇〇八年から同様の動きが始まった。「日本三大夜景」の一つである稲佐山への来訪者が減少し、それとともに同山上の展望台へアクセスするロープウエーの利用者も減少傾向にあった。また、福岡市との競争関係もあり、長崎市内の宿泊者数も伸び悩んでいた。そこで市は、これまで本腰を入れていなかった長崎の夜景を観光資源としてとらえ、さまざまなプロモーションを行うようになった。稲佐山山頂の駐車場の整備に始まり、長崎の夜景ガイド冊子の発行や、夜景専門のウェブサイト「長崎ノ夜景」の立ち上げ、鍋なべ冠かんむり山やグラバースカイロード、風かざ頭がしら公園といった夜景の視点場では夜景案内板を整備した。また、現在ではロープウエーや稲佐山展望台の改修を始めている。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の人気も手伝い、二〇〇九年以降、宿泊者数も増加傾向に転じた。また、「日本夜景遺産」に認定されたことで、首都圏ではあまり知られていない夜景にも注目が集まるようになった。記念日等を祝うライトアップを行う北海道室蘭市の「測そく量りょう山ざん」、夜景の中に平仮名で〝くれ〟という文字が浮かび上がるという広島県呉市の「灰はいケが峰みね」、「グローバルタワー」や「湯けむり展望台」などの市内の夜景名所が連動した観光ツアーを目指す大分県別府市などがそれだ。また、栃木県湯西川温泉の「光輝く氷のぼんぼりとかまくら祭り」は、二〇〇九年に「日本夜景遺産」に認定されたことを受け、東武鉄道スペーシアのテレビCMにも取り上げられ、二〇一〇年には開催以来最高の来訪者数を記録した。 一方、昨今最も注目を浴びている夜景資源といえば「工場夜景」がある。〝工場萌もえ〟という言葉を知る人も多くなったが、実は〝工場萌えブーム〟は二〇〇七年ごろにはいったん鎮静化していた。しかし、二〇〇八年六月に私がプロデュースした「工場夜景ジャングルクルーズ」に端を発し、写真集という二次元ではない、三次元で楽しむ体験型の工場夜景ツアーが大きな話題をさらうようになった。各マスコミが取り上げているが、これまでの媒体価値を試算すると三億円を超える宣伝効果を上げている。神奈川県川崎市でも観光資源としての工場夜景に着目し、私に監修を依頼。案内ガイドである「工場夜景ナビゲーター」を養成し、今年四月から、はとバスやJTB川崎支店で「工場夜景バスツアー」がスタートした。こちらも人気で、毎月一日の発売開始時には一時間もたたずに売り切れてしまう。前述の「工場夜景ジャングルクルーズ」も、毎月十回で約三百人が乗船しているが、三カ月先まで予約が取れない状態が二年半前から続いている。その盛況ぶりは地方へ波及し、室蘭市や三重県四日市市では「工場夜景クルージング」が始まり、今月には北九州市でも工場夜景バスツアーが始まる予定だ。広がり続ける「夜景観光」のムーブメントは、私の想像を大きく超える広がりを見室蘭市の「測量山」から見た夜景特集◆夜景観光のポテンシャル―光のまちづくりへ
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